Memory
6/1母が肺癌余命2ヶ月〜1年と診断された。 奇跡を願い、食事療法など西洋医学以外の方面からも治療を試みる。その記録、母との思い出、闘病の様子を綴る。
  • 06<<
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • >>08
1/6 永眠
2006年01月07日 (土) | 編集 |
1月6日午前8時58分 母、永眠致しました。

友引を挟むため、9日が通夜、10日が告別式になります。
最期までしっかり母を見送りたいと思います。

今まで励まし、応援してくださったみなさま、
本当にありがとうございました。

1/4 モルヒネ投与開始
2006年01月05日 (木) | 編集 |
いよいよこの日が来た。
モルヒネ投与が始まった。

無事年越しが出来、喜びも束の間、母は痛みを訴えることが多くなった。
最初は胸の辺りが痛い、苦しいと言っていたが、3日の夜にはあちこち痛いと言いだし、イライラもかなりひどく3日間眠れなくなっていたため、4日の朝主治医と相談してモルヒネ投与を開始することにした。

モルヒネが入ると母はまもなく眠りについた。
私は前夜ほとんど眠れなかったので、父と兄に交代してもらい、母が寝ている間に家に帰ったのだが、夕方もう一度行ってみると、私が帰った後すぐ起きてしまい、その後全く寝ていないとのことだった。
しかもバタバタ寝返りを打って、身の置き所がないような感じで苦しんでいる。

モルヒネの量が足りないのかもしれない・・
増やせばずっと寝ていて話しが出来なくなるそうだ。
それでも仕方ない・・これ以上母を苦しませたくない。

モルヒネ投与が開始されて驚いたのは、食事が出なくなるということだった。
母は3日の朝まではお粥+おかずはほぼ普通食だったのだが、3日昼からまたペースト食に戻してもらっていた。
それでもほとんど残すことなく4日の朝も完食したのに、モルヒネ投与されることで食事が出なくなるとは思わなかった。
母は食事は摂らなくてもいいと前から言っていたから、本人としてはありがたいのかもしれないけど、今まで懸命に食べさせてきた私たちにとっては、最期を告げられたようで悲しくなってしまった。。

12/25 継続する安定期 
2005年12月25日 (日) | 編集 |
嘘のように安定した日々が続いている。
先週主治医に話を聞いたが、常に急死する可能性はあるものの、それを除けば年は越せるだろうと話していただけた。

しかし、一週間前の時点で血圧の低下(上が80〜90強)が見られ、血液中のミネラル?何とかの数値も徐々に落ちていることから、一ヶ月以上は無理だろうとの見解だった。

だがここに来て母は回復しているのではないかと思えるほど元気になってきている。
食事は流動食からペースト食にしてもらったのだが、軽く完食するし、最近では物足りないと言うので、家で少しおかずを持っていくようになった。
それに今日は右腕が上がるようになったと自分で手を挙げて見せ、これならスプーンも持てるかもしれないというので、朝食時にスプーンを持たせると、大部分を自分で食べることができた。

この一ヶ月ほど一人でご飯を食べることができなかったのに、すごい進歩だね、と母と話した。
そしてここに来て血圧も上100以上を示すことが多くなった。
主治医は先週心臓が弱ってきているから血圧が落ちてきていると話したが、最近よく食べるから心臓の機能も回復して来たのか?

母は自分が徐々によくなっていると信じている。
私たちもこんな病気でなければそう信じたいけど、母が元気に回復し家に帰ることはもうないだろうと思うと切なくなる。

友達の友人のお母さんが末期癌で余命いくばくもないと言われながら4年生きたという話を聞いた。
母の病状が安定しているのは嬉しいけど、このっまずっと寝たきりで何ヶ月、何年も生きるのって本人にとっては辛いことだろうと思う。
常日頃から寝たきりだけはなりたくないと言っていたから・・

ともかく年を越すことができそうでなによりだ。
いい年越しになるといいな。

12/13 最期の安定期
2005年12月13日 (火) | 編集 |
先週末は意識レベルの低下が見られたが、その後やや調子を回復し、特にここ3日は流動食も7割前後食べられるようになり、まともな会話もできている。

1週間前まではひどくイライラしたり、わがままを言うこともあったが、最近は以前より眠れるようになったせいか、精神的にも随分落ち着いてきた。

一時は私も相当覚悟したが、こう安定した母を見ていると、母が亡くなることなんて考えられなくなってしまう。

突然ガクンと調子を落とす可能性は大いにあり、主治医には最期の安定した時期だろうとも言われている。

こんな病気じゃなければ、この状態を喜び、これから良くなることを信じて頑張れるのにな・・・

再入院して今日でちょうど一ヶ月。
一ヶ月ちょっとと言われた母の寿命、これからどうなるのだろうか・・

12/7 
2005年12月07日 (水) | 編集 |
週末意識レベルがかなり低下し、遺言めいた言葉を発した。
「お母さんが死んでも泣いちゃだめだよ」
「お母さんはいい子に恵まれて幸せだった」
「もう満足だから、延命治療はしないで」
誰と誰に母の着物を形見分けして欲しい、そんなことまでも言ったのだ。

母がもう悟ってしまったからには、これ以上隠すこともないだろうと思い、私も「お母さんの子供に産まれて幸せだったよ」などと話した。

週末は主治医がいなかったので宿直医に話を聞いた。
末期の最期の最期は医師でも判断できないのだそうだ。
母の状況から今日明日でもおかしくなとの話しだった。

私は心配だったし、叔母も心細いというので土曜日は病室に泊まった。

しかし・・・昨日、今日になって
「このままってことないよね」
とか「この目のかすみをどうにかして欲しい」
とにかく今後も生き続けるような口ぶりをするように。
母の意識は混濁しているのか?

昨日叔父が来てくれた。
母は叔父に主治医と話してもらって、この状況をどうにかするようにガツンと言って欲しいというのだ。

(;-_-;) ウーム・・参った。

今日の主治医の話ではあと1週間くらいというのだ。
あとできることは、体がだるくて辛いのなら24時間モルヒネ投与を開始するとのこと。
しかし昨日今日と母はやや調子をとり戻した。
声も週末より出るようになったし、寝返りも自分で打てるのだ。
本当にあと1週間なのかな・・

今日は夫も上海から駆けつけてくれた。

※病院に泊まることが増えているため、更新できない日が多いです。



プロフィール

hana

  • Author:hana
  • 上海に夫と猫3姉妹、母の病気の為現在帰国中。日本に父・母・兄・犬3匹・猫1匹。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



友達申請フォーム

この人と友達になる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する