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6/1母が肺癌余命2ヶ月〜1年と診断された。 奇跡を願い、食事療法など西洋医学以外の方面からも治療を試みる。その記録、母との思い出、闘病の様子を綴る。
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11/30 最近の経過 
2005年11月30日 (水) | 編集 |
11/20に上海から戻ってきた。
先週までの一週間はまだ母はそれなりに元気があり、食欲もあった為、私は予定通り11/27には中国語の検定試験を受けに行くことができた。

具合が極端に悪くなり始めたのは今週に入ってからだ。
11/25にお尻の傷と化膿した右手の親指の傷を見てもらうのに皮膚科へ行った。その時少し強めの抗生剤を処方されたのだが、それを飲み始めると同時に母の不眠が始まってしまった。
先生は抗生剤のせいではないというんだけど・・・
それでも最初の内は夜2,3時間は寝むれて、昼寝もして、というペースだったのだが、月曜日には全く眠れないという事態になった。
眠れなくなった頃からイライラ感が出始め、昨日はそれがピークに、「精神科でも乳母捨て山でもいいからどこでも入れてくれ」と言う始末。
私は母が発狂するんじゃないかと内心恐ろしかった。

それでも心療内科の先生の診察を受け、いらいらを止める薬と、強めの睡眠薬を処方してもらうと、今日はそれらはだいぶ改善されていた。

しかし今日の母はまったくもって元気がない。
まず言葉が弱々しい。
口内炎がひどいせいもあるかもしれない。
それでもまだ食欲はあるので、口の中が痛いと言いながらも食事は摂ってくれるのは救いだ。

散歩は相変わらす行きたがる。(車椅子で)
ベッドでじっとしているのがかなり嫌らしい。
先週までは病室のある階を2週する程度だったが、週末兄が空中庭園まで連れて行ってくれたことから、最近はそこへ行きたがるようになった。

月曜日には自分で車椅子を動かしたいと言い、自分で病室のある階を2周ほど回った。徐々に曲がり角も自分で回れるようになり、なかなか上手に操作できるようになった。
昨日はイライラがひどく精神的に落ち着かなかった為、50mほどしか自分で走らせなかった。今日も少し自分で動かしたが疲れたといってすぐやめた。

車椅子でぐるぐる辺りを回っていると母はすぐうとうとし始める。
眠かったらベッドに行く?と聞くと嫌だという。
もうちょっと回ってもいい?と言うのでまたしばらくグルグル周り始める。
昨日は合計で3時間以上回ったんじゃないかな。
さすがに私もかなりくたびれてしまったが、母に何かをしてあげられる時間はもう少ない。今はなんでもしてあげたい。

13日の時点であと一ヶ月ちょっとだと言われた母の余命。
ということはあと2週間??
今日主治医に聞いてみようと思ったが、恐くて聞けなかった。
きっとそれくらいでしょうと言われるだろうと思ったから。。

今日母は立って足踏みをしたいと言った。
チークダンスを踊るみたいに母は私の首に腕を回し、自分の足で立ってその場で何度も足踏みをした。
私は母の体温を感じながら、母といれる残りわずかな時間のことを思うとせつなく、涙があふれそうになった。

母はまだ自分がよくなると信じている。
今の状態は薬と点滴のせいだと。

お母さん、本当のことを言ってあげられなくてごめんね。。

11/13〜14 入院
2005年11月16日 (水) | 編集 |
モルヒネ入りの薬を飲みだしたせいか頭痛がひどくなり13日急遽入院。
叔母がずっと母に付き添い病院に泊まってくれたそうだ。

14日兄から電話があり、主治医と話をしたところ、髄膜炎を起こしておりやはり余命は一ヶ月ちょっとであろうとの話だった。
それと一日中点滴をしているためもう退院は出来ないだろうとのこと。

私は今回上海へ行く1週間前くらいから、友人の紹介で「ミキ」の健康食品を(4種類)飲みだしており、母にもそれを飲んでもらっていた。
母はそれのお陰で下剤を飲まなくても便秘が治ったんだけど、その内1種類の在庫がなくなったので注文して欲しいと叔母に伝言したらしい。

母はまだ自分がよくなると信じているんだ・・。

私はすぐ日本に帰るべきか悩んでいる。
今帰れば母は怪しむだろう。
でももう隠す段階でもないのかもしれない。

母には最後まで絶対よくなるよ、頑張ろう、と言うべきなのか?
それとも遠まわしにでも気付かせるべきだろうか?

11/4〜10
2005年11月16日 (水) | 編集 |
11/4から叔母がきてくれるというので、私は11/5から上海に来ている。
11/10に母の定期健診があったので電話をしてみると、母の声は元気そうだったが、頭痛がひどくなってきたため、今日から少し麻薬の入った薬が処方されているということだった。

それってもしかしてモルヒネ・・・?

心配になり一緒に病院に行ってくれたKさんに夜電話をしてみた。
やぱり薬はモルヒネ入りで、これから量が増えていくそうだ。

そして母の余命はあと一ヶ月ちょっと・・・

年は越せないだろうと。

確かに母の眩暈は少しずつ悪くなってきてるのは感じていたが
まさかここまでとは・・・
それでも母はまだ薬が変わればよくなると信じている。
まもなく母が自分の寿命が間もないことを知るだろう。
そしてすでに自分の寿命が一ヶ月ないとわかったとき母はどうなってしまうだろうか。
今はそれが一番怖い・・・

11/1〜2 旅行
2005年11月16日 (水) | 編集 |
母は自分がよくなってから旅行に行きたいと言っていた。
でもせっかく兄がこの日に合わせて休みをとっていたので、母もそれなら行こうという気になってくれた。

旅行先は車で一時間ほど行ったところ。
母は後ろの座席でずっと横になっていた。
それでも旅館に着く頃には少し疲れた様子だった。

旅館はこの辺りではなかなか有名らしく、建物も接客も素晴らしかった。
母も旅館を見ただけでかなり満足の様子だった。
夕方前に旅館に着いたたので父と私はそれぞれお風呂に行ったが、母は食後に行くといい、少しの間布団に横になった。

私がお風呂から戻ると母はテレビを見ながら父に買ってきてもらったおせんべいを食べたりしていた。
食欲はあるし移動の疲れはないようで安心した。

古希のお祝いということでこの旅行を計画したのだが、母はそれについてすごく喜んでくれて、食前に乾杯するときには「こんなにしてもらって幸せだ」と少し涙を浮かべていた。
母が喜んでくれて私も嬉しい。またこんな風にきっと家族で旅行できるよね、これが最後の旅行になりませんように・・・そう願った。

夕食はすごく豪華だった。
舟盛りは出るし、あわびの踊り食いは食べさせてくれるし、母はこんないい旅館に泊まるのは初めてだとまたもや大満足していた。

食後は一緒にお風呂に行った。
母は足取りも覚束ない様子だったので露天風呂まで行かず、室内の浴場だけで済ませた。
でも問題なくお風呂を済ませることができて一安心。
朝も朝食前に母とお風呂に行ったが、夜よりも調子が良さそうで私が手を貸さなくても一人で行動することができた。
母は旅行中具合が悪くなることを心配していたが、返って普段よりも調子がよく眩暈も少なかったと喜んでいた。

朝食時、まかないに来てくれた仲居さんに母は年が明けたらまたすぐ来るからと話していた。
1月・・まだまだ大丈夫だろう、そう思っていた。。



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hana

  • Author:hana
  • 上海に夫と猫3姉妹、母の病気の為現在帰国中。日本に父・母・兄・犬3匹・猫1匹。



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